「にっぽん無線通信史」 福島雄一著 朱鳥社 2002年12月31日第一刷発行 |
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参考外部リンク: |
・「電波博物館」 <電波適正利用協議会HP>
・「無線年表」 <シルバーの皆さん今日は>
・「3-3 初期の通信機」<電気通信大学60年史総目次> |
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第1章 明治編 |
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ヘルツの実験。リギの火花式発信機。ブランリーのコヒーラ。 |
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マルコーニ: |
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1874年 |
マルコーニ誕生(イタリア ボロニア) |
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1895年12月 |
約2.4km離れた地点で受信できた ・・・ 火花送信機とコヒーラ検波器 |
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1896年 |
22歳 英国で無線電信回路および機器に関する最初の特許を申請 |
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明治34年(1901)12月 |
太平洋横断通信(3,4000km)に成功。使用電力12kW。設計周波数約835m(800kHz) |
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1904年 |
タイタニック号遭難時、乗船していた2人のマルコーニ無線電信会社無線技師が、救難信号を送信した。 |
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1909年 |
ノーベル賞受賞「無線電信の発達に対する貢献の感謝のしるしとして」 |
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逓信省電気試験所: |
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明治 9年 |
工部省碍子試験所設置 電気事業に用いる碍子の電気的試験を行う機関として発足 |
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明治24年8月 |
逓信省電務局所属 電気試験所となる(所長:浅野應輔 ほか31名) |
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明治30年夏 |
航路標識所長・石橋絢彦来訪 無線電信研究着手 |
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12月27日 |
約1哩の到達に成功 |
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明治31年11月 |
相互通信に成功 |
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海軍: |
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明治33年(1900)2月9日 |
無線電信調査委員会設置 |
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明治34年5月 |
通信兵器としての製造に着手 |
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10月18日 |
「三四式無線電信機」採用 |
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明治35年末 |
通信距離80浬を達成 |
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明治36年末 |
「三六式無線電信機」戦艦「三笠」を含む17艦に設置 |
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明治38年5月27日 |
午前4時45分 仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊を発見。三六式無線電信機から発信 |
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午後1時39分 |
旗艦「三笠」がバルチック艦隊を発見。「敵前回頭」 |
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公衆通信: |
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明治41年3月 |
海岸局・銚子無線電信局完成 |
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波長300と600m、送信電力1kW、音響式と印字式受信機 |
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明治41年 |
船舶局を含めて15局が完成 |
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平成 8年3月31日 |
午前8時 銚子局が88年に及ぶ業務を停止した |
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TYK式無線電話 ・・・ アーク放電を利用した、無線電話器で、連続放電に難があった |
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(1902年) |
アメリカのレジナルド・A・フェセンデンは、瞬滅式送信機の空中線回路にカーボンマイクロフォンを直列に挿入して振幅変調を行い、距離約5マイルの電話送信に成功した。 |
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(1906年) |
クリスマスイヴに高周波発電機と水冷式カーボンマイクを使用して、航行中の船舶に対して音楽及び音声の送信に成功した。 |
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明治45年(1912) |
鳥潟、横山、北村の3名で開発。 |
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大正4年(1914) |
大正5年まで、三重県の鳥羽 - 答志島 - 神島間での通話実験を行った。 |
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安中電機製作所 |
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明治 4年 |
安中常次郎 滋賀県彦根市に誕生 |
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明治33年5月 |
個人経営の安中電機製作所を設立 インダクションコイルの製作 |
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三六式無線電信機の電波発生用インダクションコイルを量産 |
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大正 2年2月 |
死亡(満41歳) |
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昭和 6年 |
共立電機株式会社と合弁し、安立電機株式会社となる |
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第2章 大正編 |
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真空管: ・・・ 持続電波を得ることができるようになり、これを振幅変調(AM)する事で音声を送信できるようになった |
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明治37年(1904) |
マルコーニの顧問・フレミングが二極真空管を製作 |
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明治39年 |
米ド・フォレー三極真空管を考案 |
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民間無線局: |
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大正4年 |
「無線電信法」制定 ・・・ 無線電信、電話を私設できる場合を認めた |
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民間無線局の第一号 ・・・ 豊橋丸(日本郵船梶j(それまでの官設だったものを私設に切り替えた) |
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ハワイとの間の遠距離通信実験実施「船橋無線電信局」 |
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長波・・・数千m〜1万m台 、 100kW〜150kW |
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大正5年 |
「船橋無線電信局」による大陸間国際通信業務スタート(ハワイ経由) |
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関東大震災: |
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大正12年9月1日 |
土曜日午前11時58分 関東大震災 磐木局が災害情報を世界に打電 |
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ラジオ放送開始: |
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大正 9年(1920) |
米国ピッツバーグのKDKA局 |
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大正14年 |
東京JOAK、大阪JOBK、名古屋JOCKに3放送局誕生 聴取者は許可制かつ有料(月額1円) |
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開局1年半後には聴取者は34万人(鉱石受信機(10円)が70.5%、真空管式(120円:大卒初任給の2倍))が29.5%) |
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大正15年 |
3局は日本放送協会として統一される(昭和26年まで1社のみ) |
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八木・宇田型空中線: |
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八木(明治19年(1886)大阪府生まれ)、宇田(明治29年(1896)富山県生まれ) |
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大正15年 |
第一報告「短波ビームについて」電気学会雑誌 |
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昭和 4年 |
第11報告 |
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昭和27年 |
「八木アンテナ株式会社」設立(日立、日本軽金属が出資) |
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昭和16年 |
陸上対空見張り用超短波レーダーを勝浦に設置 |
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昭和17年 |
艦船用超短波およびマイクロ波レーダーを試作 |
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アマチュア無線: 第一次世界大戦当時米国に6,000人 |
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大正 3年(1914) |
ARRL設立(アマチュアには波長200m以下の実用性のないと思われていた短い周波数のみ許可された) |
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大正12年(1923)11月 |
米国1MOと1MAXは、仏国8ABと110mで交信 |
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大正14年 |
梶井謙一(大阪市、JAZZ、住友電線)と笠原功一(神戸市、JFMT、関西学院高等部の学生)両者の自宅間約20kmを波長300mで交信に成功 |
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大正15年 |
仙波猛(東京、1TS、東京帝国大学の学生)と谷川譲(神戸、3WW)交信 |
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草間寛吉らがJARL設立 (ただし、日本ではアマチュア局に関する規定がなく無許可での運用) |
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9月8局が正式に逓信省から許可される |
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第二次世界大戦開戦時約330局(うち女性局3) |
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昭和26年 |
第一回のアマチュア無線技士国家試験(1級合格47名、2級合格59名) |
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昭和27年7月29日 |
全国30局に予備免許交付 |
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昭和25年6月1日 |
電波三法が成立 @電波管理委員会設置法A放送法B電波法 |
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テレビジョン: 高柳健次郎 |
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明治32年(1899) |
浜松市生まれ |
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大正10年 |
神奈川県立工業学校の教師に |
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大正13年 |
浜松工業高等学校の助教授に。テレビジョンを研究テーマとする |
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大正14年 |
ブラウン管の試作を芝浦電気(現東芝)に依頼し、第一号完成 |
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大正15年12月25日 |
「イ」の字の伝送に成功(送信は機械式。伝送は有線。受信は電子式) |
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昭和11年 |
積分法による撮像管完成 |
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昭和12年 |
NHKに仲間20人と出向し研究 |
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昭和14年 |
一般を対象とした公開実験を実施。500W。日本電気と東芝が受信機を国産 |
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昭和27年 |
日本テレビに予備免許 |
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昭和28年 |
NHK本放送を開始。視聴契約者数866件。撮像管はイメージオルシコン。送信管は三極間・7T15(5kW) |
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昭和33年 |
受像機100万台 |
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昭和34年 |
皇太子殿下ご成婚。200万台 |
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昭和31年 |
カラーの実験放送をNHKが開始。35年本放送 |
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昭和33年 |
東京タワー完成(333m。自立鉄塔では世界一) |
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マイクロ波中継網: |
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昭和27年 |
東京−大阪間ルート決定(10局。局間隔は約50km) |
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4GHz帯。送受信装置:日本電気。アンテナ:三菱電機。真空管:日本電気、東芝、日本無線、神戸工業 |
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世界に先駆けてTWT使用(4W85、4W86)。電話360ch(または白黒テレビ1ch) |
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昭和29年 |
開通 |
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衛星通信: |
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昭和32年10月4日 |
ソ連が人工衛星・スプートニク1号を打ち上げる。最高高度1,000km、直径58cm、重さ83.6kg |
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アルミニューム合金製。20.005MHz、40.002MHzの電信を交互に送信 |
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11月 |
2号打ち上げ。ライカ犬がのる。508kg |
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昭和33年 |
米国(陸軍とJPL)がエクスプローラ1号(14kg)を打ち上げる |
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NASA設立 |
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昭和37年7月 |
テルスター1号(ベル・グループ)。76.5kg。電話、テレビの中継。寿命7ヶ月 |
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12月 |
リレー1号(NASA)。98kg。寿命2年 |
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昭和38年 |
アメリカ西海岸から日本にリレー1号により中継。第2回実験でケネディ大統領暗殺ニュースを中継 |
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昭和39年 |
静止衛星シンコム3号により東京オリンピックを国際中継 |